生活を、健康を取戻し、本来の自分を取り戻すために。
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前回の「病気になって...。」を書いてからいろいろなことを回想しました。
ほんとに苦しかったことがあったような気がします。しかし、それも今は「あー、こんな事もあったな」と、思えるような自分を取り戻すことができて本当にうれしく思っています。 感謝する気持ち、だいじにしたいとつくづく思います。 病気になって、医師から絶対に守ることを言い渡されたことがあります。そう、アルコールの摂取で注意ですね。 意外とこれも日常に入っている事柄かもしれません。まして自分のようにある程度年齢を重ねると立場上、飲酒する機会がどうしても多くなります。しかし、あえてそれに慎重に対応した自分がいました。 親族、友人の結婚式、けっこうつらいものがありますね。でも、このひと時を乗り越えることができたから今の自分がいると信じています。 断酒に協力してくれた、家内、には本当にご苦労様の一言です。 こんなこともありました、家内の実家の新年の挨拶のときに家族、親戚一同のそろっての新年会。 その場で家内の祖母がふと漏らした言葉をいつも覚えています。 家内に対して、「お前のだんなさんはいつになったら、みんなでお酒を飲めるのかね。」 お酒を飲めることが健康のバロメータということはよく聞きますが、祖母にまで心配をかけていたのかと感じたひと時でした。 そして、時は流れ、新年会、医者から許可された久しぶりのお酒。この時にその祖母がうれしがってくれたことは言うまでもありません。 いつも、自分を思ってくれる人がいることを感じていられる、所以です。 その祖母も今は遠い人。今の自分を見たらきっともっともっと喜んでくれるはずです。 話は前後してしまいましたが、自分を取り巻く周囲の人にいつも感謝してこそ明日があると思うのです。 もし、かつての自分と同様の人がいたら、勇気を持ってその人たちの笑顔に応える力を貯めることが必要と思います。 振り返ってみるとほんとに人間関係って捨てたものばかりではないですよね。....... PR
病気になっていろいろなことを知りました。
いろいろな人の接し方をとおして実感してその人その人の考え方を感じ取ることができるようになったものです。 会社人間だった?自分がその会社の中で本当にこの人とお会いできてよかったと思う人が病気になってからも思えることが非常にこのつらい毎日を乗り切る上で非常にありがたく思ったことです。 何人かのその愛情あふれる接し方を感じ取った方々がいます。 今回はその中のお一人 K氏をご紹介させていただきます。 時間は前後しますが、 会社に復帰して間もない頃、いつもの出勤が非常につらい時期。 当時、出社も徒歩で行くことはつらく金銭的に無理があったにもかかわらず一週間のうち、半分くらいをタクシー、そして残り半分を徒歩でその徒歩にしても通常なら15分から20分もあれば十分に行けるだろうと行くくらいの感じの道のりですが当時は徒歩で行くときはそれこそ、約40分からひどいときは1時間くらいかかっていく自分がいました。 その徒歩で出勤する日のある日の出来事です。 普段から自分よりひとつ崎の駅から乗車してくるK氏。 そのK氏とは以前からもちろん面識はありましたがそんなにといったくらいのお付き合いだったのです。 そのK氏が駅で偶然会ったのです。 「だいじょうか?なんだか毎日つらそうだね。」 この一言からK氏とのお付き合いが全てが始まったといっても過言でありません。 自分が歩く速度は非常に遅く、一緒にあるくことなんてほんとに迷惑なことだったと思います。 しかしK氏はそんな通勤のひと時を一緒に過ごしてくれたのです。 「大丈夫です、先に行っていただいたほうが...」と自分。 しかしK氏はすぐさま「どうせ行くところは同じなんだから二人で行くのが迷惑なら仕方ないかも知れないが一緒に行かないか」といってくれたのです。 その一言が本当に嬉しかったのは言うまでもありません。 そしてそれは一日の事ならずほとんど毎日に近く続いたのです。 あまりに つらい日はタクシーで行ったのですがそのときも「たまにはタクシーもいいか」と冗談交じりで言ってくれたことを今でも忘れません。 あたたかい人の気持ちを感じ取ったものです。 そしてそれはいつの日か当たり前の日常になっていたのは言うまでもありません。 今の自分を支えてくれるK氏です。 そんなK氏ですが最近の出来事。 ふとK氏から「ところでいつの間にか知り合ったけどいったい何がそんなに俺を大事にしてくれるの」と言った場面がありました。 K氏はあの時の事をすっかり忘れているのかもしれません。 しかし、自分は思うのです。 ぜんぜん気取らないそんなK氏だからこそいつの日も同じ事をやり続けてくださったのだと。 そこには本来のK氏の根底に優れた人間性があるのだと自分は思ったものです。 かつての出来事を説明する自分、すると「そんなこともあったのかな」とK氏。 すばらしい人です。 まだまだ何人もすばらしい人と触れ合いました。しかし今日はどうしても書いておきたかったK氏の事を時間が前後してまでも述べておきたかったのです。
自宅にて治療の指示が出たのは当然かもしれません。だいぶ無理していたわけですから。
自分がいなくてはこの仕事がうまく回らないのでないか?とか言った今考えるとあまりにも自己中心的な考えが頭の中に必ずあったからですね。 だんだんと社会の構造をそして会社の構造を理解できるようになったのもある意味、病気になって冷静に物事を捉えることができる機会を与えられたからとおもっています。 今でこそこんなことを言っていられるのですが当時はそんなことはお構いなし、なにしろ頭の中は仕事のことしかなかったわけですから。 これを機会に自分の生活を見直そうとおもった訳です。 確かにサラリーマンとして昇格して裕福な生活をすることは願っても無いこととおもいます。しかしそれと引き換えに失ってしまうものもあるのでないかとおもうのです。 「人間としていきいきと生きる」「生活すること」は人それぞれですが決まっていることは健康は宝ものであると思っています。(あくまでも一個人の考えです) このありがたさは病気になった人でしかわからないかもしれません。痛切に感じ取るようになった人はまたその人その人によって考え方がいろいろあるかもしれませんが、自分は「いきいきと生きる」方を選択したわけです。 参考までに、確かに自分の周囲にも過去に病気になって回復した人が何人かいます、その全員が自分と同じに病気を感じ取っているものではないとわかったのもこの頃です。病気を病気として感じない。いろいろな人が本当にいるんですから。 人の温かさを感じ取ることができる一人になりたいと思うのですが。 その20年以上前の選択が今実感となっています。 充実した日々、家庭に家族に恵まれた日々をすごすことができ手います。 妻とそして子供たちと楽しい日々が流れています。 病気とはある一時期を立ち止まって再度見つめなおす機会を与えてくれるものかもしれないと考えました。 もしあの時病気になっていなかったらこの今のひと時があるか疑問です。(逆のことも言えるのですが自分は当時の選択に自信を持って正しかったと言えます) 自宅での治療についてですが特にこれといった治療を思い出すことはできません。 毎日毎日が時間が来て過ぎていくそんな日々の続きでした。 しかしそれで良いと感じることができる余裕が持てるようになって来ました。 週一回の病院通いも恒例になっていましたが先生からも確実にいい方向に向かっていると言われました。 治療の中で気をつけたこと、やはり先生からの指示は絶対とおもっています。 禁酒・リズムを崩さない毎日 この二つは重要とおもいます。 第一に禁酒ですが服薬との関連を理解すればぜんぜん困難なことでないとおもったものです。 事実、自分はこの治療の間、先生からのOKが出るまで一滴も口にしませんでした。 ・・・・・・・・続きます (この治療について次に掲げたいとおもいます。そして最良の家族の事も自慢させてください)
退院して自宅での治療が始まりました。
治療といっても特にすることが無く、ほんとにゆっくり時間が過ぎていくことを実感するだけといったほうが正しいかもしれません。 焦りがつのる一方確実に治療をしないといけないと思う考えが交錯します。 会社では4月になり新天地での活動を開始します。 まだ、身体は回復していなかったのです。 出勤、2日目、出社まもなく、重い気分になったことを覚えています。 頭では仕事しなくてはと、思っていても身体が言うことをきかないのです。 すっかり自暴自棄になる自分がいました。 しかし、治療に当たってくれた先生方がおっしゃっていた事を思い出します。 まだ、本格的に動いてはいけないんだ、この時間は完全復帰のための大事な時間なのだと。 けっして、自分をに対して「がんばって」と言わなかった妻、先生たちの言葉通りの事を常に妻は会得していたのです。 そう、確かに「がんばって」なんて言われたら、「ふざけないで、これ以上がんばったら死んちゃうよ。」 ほんとです。そのとおり、もうこれ以上頑張れないくらいがんばっているのですから。 いつも暖かく見守ってくれている妻と愛娘がいつも自分のそばにいてくれたことが唯一の励ましでした。 そして、だんだん、この大事な時間の重さを、尊さを知っていくのです。 ****この時期にはけっして本人に「がんばって」とか安易な励ましは禁物ですから。 最悪の状態を招くこともあるそうです。 だって本人は精一杯努力しているのですから、自分の力を疑ってしまいますよね。**** (早く元気になーれ) 会社出勤3日目にして上司から少し身体を休めるようにと自宅治療の命令が出ました。....
入院生活の中で一番厳しかったのが食事です。
救急医療センターへ運ばれたのが腹部の病気ということで治療にあたっても食事の制限が厳しかったのです。毎日が点滴の連続でした。 腸の具合を診るために一滴も水を取ることができず全てを点滴でまかなっていたのですから。 このときほど食事のありがたさを思い知ったことはありませんでした。 入院中も食事の事で頭がいっぱいになることがしばしば。 このときの楽しみといったら「退院したらまず何を食べようか」でしたから。 お寿司、うな重、てんぷら、まあ、このくらいしか自分には思い浮かびませんでした。 それにしても食べ物の大事さを思い知った一時期です。 人間って水分を取らなくても死なないんですね。点滴の偉大さも痛感したものです。 病院では焦りが出てきていました。 食事をいつになったら取れるかそんなことばかりをいつも看護士さんに聞いていました。 そうでないと退院まで話がたどり着くことができませんから。 やっとのおもいで食事にありつけることができます。 しかし、それは食事にはまだ程遠いものでした。一日一日、おかゆがだんだん食事らしくなってくるのが楽しみな日が続きます。 この時期になると心配だったことがあります。 それは四月になって定例の人事異動です。病院の外ではそれは自然に訪れていることなのですから。 そしてやはりそれは自分の事となって訪れました。 病院での人事異動の連絡です。 営業店勤務から本部事務への異動。思ってはいたことですがちょっと、寂しかったかな。 でも、今はそんなことを言っていられません。何よりも前の自分に戻ることが先決だったのですから。 食事も通常食に近くなってそれと同時に退院も近づいてきました。そして いよいよ、退院。救急医療センターのスタッフの皆さん、ほんとにお世話になりました。 こちらでお世話になった先生の事は再度、この回想記の中で、お目にかかリます。 これから本格的メンタル部分での本格な治療が自宅で始まることになります。 そしてこの中で家族のふれあいを実感するのです。 続く......。 |
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