生活を、健康を取戻し、本来の自分を取り戻すために。
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支店長からの話は今、少し疲れていないかと言ったことでした。
そう、ほとんど自分の中では今、正常に機能していない自分を感じ取ることができました。 そして、周囲から見てもそれが明白にわかるぐらいに疲れている自分がいたのです。 病院の診療の紹介、支店長の話はそれでした。このままでは本当に体を壊してしまう。そんな感覚が自分をさらに追い詰めたのです。 一日も待ってくれない、仕事。 しかし、今、自分が体を壊したら今以上にみんなに迷惑をかける結果は見えていたのですから、一刻も早くいつもの自分を取り戻すしかないと思ったのです。 2・3日後でしょうか、自分は蘇我にある川崎病院の神経科を訪れました。 診察を待つ、久しぶりの病院、確かにいままでもけっして健康ではなかった自分がいたのですが、ここしばらくは仕事に追われ、充実した毎日が過ぎていく、そんな毎日に病気すら忘れていたような気がします。 久しぶりに診察を受ける自分に担当の先生は「すこし別の見地から見たほうがいいかも知れませんね。 ここを紹介しましょう。」と、言われたのがこの時自分を取り戻す始まりだったと思っています。 翌日、紹介された病院へ足を運ぶ自分と妻。 その病院は千葉市街のビルに入っていた診療所です。 ここが、本来の自分を取り戻してくれるところになるとはそして、的確な診断を下してくれる病院とはこの時まだ知る由もありませんでした。 受付には受付の方が一名、待合室には患者が三名くらいでしょうか、診察を待っている様子でした。 待合室での時間は刻々と過ぎていきます。 「次の方、どうぞ。」看護婦さんに誘われ、診察室に入る自分、ここからが自分を取り戻すことになるわけです。 今、思うとこの時の病院の先生、スタッフの方にお会いしなかったら自分は復帰できなかったと強く思っています。そのくらい、病院を選ぶことが大事とは思いませんでした。 そして、それには、その場を適切に把握できる妻がいたからに他ありません。 ある日、お客との面談の予定をすっかり忘れていたのだ。ダブルブッキング、「え、」と困った自分がそこにいた。この事から自分を意識し始めたのだ。 後方にいる次長から「おい、〇〇先生のお宅の電話番号、何番だっけ?」と聞かれたときのこと。そう、いつでも自分の頭の仲には電話番号簿のように記憶が鮮明にあったのだ。時間の有効活用。これも自分のひとつの特技、そう思っていた。その自分の特技が急にストップしてしまったのだから。 これが始まりかも・・・・・・・。 幼いときからこの特技は持っていた。そのくらい自分の記憶は特に数字を覚えることに関しては自身を持っていたのだから。その自分が・・・・・。 今までの記憶が遠のいていく。そんな感じだった。不自然な感じ、感情、とでも言ったらいいのか。不安への一歩だったのだ。 手帳の中を毎日確認する日が続きそんなある日、支店長に呼ばれたのです。 「うつと戦う」 やっと午前中のお客との面談が終わった。食事をする時間がもったいないくらいに忙しい一日が通り過ぎていく。 はじめまして。早くも50歳になってしまいました。平凡ですが毎日が充実した気分で過ぎていくのがわかります。 今、自分は本当に家族に恵まれそこそこの会社勤務をして休日には趣味を三昧することができるようになりました。 悲しいことがあった日、うれしいことがあった日に書く、そんな毎日が続いています。 |
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